前田紀貞建築塾 第10期 3回目
2/1 前田紀貞建築塾 第10期 3回目の講義の様子をお伝えします^ ^
【卒業設計コース】
クロは卒業設計のコンセプトについて、言葉で考えてきたようです(*_*)
しかし、どうもまとま切らなかったようで「カタチから入りたいです!!」と宣言をしていました。
建築塾のメソッドの中にも後付コンセプト大歓迎という言葉がありまが、未だ何も敷地・プログラム等の与条件についての検討が成されていないのであれば、それは少し早とちりというものです (゜゜)
当然、卒業設計では与条件は決まっていません。
自分で決めるのです!!
それでもカタチから入ることもアリですが、言葉が全くなしでは中々キビシイ(-_-;)
カタチ⇒言葉の一方通行だけではなく、言葉⇒カタチのアプローチもやっていくことで、言葉とカタチが不思議な科学反応を起こします。
カタチ ⇔ 言葉の相互関係の中で、カタチが言葉を成長させ、言葉がカタチを成長させて、両者が進化していくのですヽ(=´▽`=)ノ
卒業設計では、総論的模索と各論的模索(一般解的模索と特殊解的模索、ツリー的模索とセミラチス的模索)の間を行ったり来たりすることが大切です。
それら両方の模索の方向を射程に入れながら、そこに作品の世界としての“つかみ”があるか、“ひっかかり”があるかということを考えるべきのようです。
【設計演習】
まずは、なおきから!!
「墨割り」のルールを進めてきました!!
トレイに水をはり、そこにミョウバン水溶液を混ぜ込みます。
そこへ墨汁を垂らして、真っ黒になった水面を石鹸水が付いた楊枝で突っつくと墨の膜に亀裂が入り上の画像のような不思議な模様が完成するのです。
幾つかパターンをつくって、なおきは曲線的な模様ができる方に魅力を感じたらしく、それを元に模型をつくってきていました^ ^
これでは「墨割り」でなくともできてしまいそうですね(^_^;)
直線的な模様こそ、「墨割り」にしかできない不思議な魅力がありますね。
「ルール」を扱う最大の目的はそれを拠り所にしてしか成し得ない建築を生み出す事にあります(^○^)
それを扱わなくても成立してしまうモノをつくっても意味がありません。
なおきには是非とも、「墨割り」でしか成し得ない建築を生み出して欲しいと願います!!
また、「墨割り」では石鹸水を差すところは任意に決定することになるでしょう。
つまり、部屋割りを大枠では自意識の中で決めていくことになります。
これはいかにも、ルールによって建築をつくったことになるのかというツッコミが入りそうですね!?
石鹸水を差すところは任意でも、新たにサブルールを設定しても構いません☆
しかし、そこに自分なりのストーリーがないと行けません!!
「なぜ、任意でいいのか?」「なぜ、◯◯◯というサブルールを設定するのか?」、いずれの方向であっても、それが「自分の言葉」で明確に語られないとなりません!
実務になると打ち合わせ相手を説得しなければならないことが山ほどあります。
建築をやっていく上で、大切な物事の根拠を明確に説明できる能力は必須なのです^ ^
続いて、福岡さん☆
ツール・ド・フランスのルールを進めてきました!!
ツール・ド・フランスでは、1チーム9人でエースを勝たせるために全員でレースを戦います。
とても長い距離を走るのでエース以外の選手が風受け役になってエースを空気抵抗から守ります☆
そのため場面場面でチーム内で各人が風を受け方が変化していきます^ ^
その風の受け方の違いを建築へ落とし込めないかと幾つかスケッチを描いてきていました!!
しかし、これもなおきと同様にこのルールを扱わなくてもできてしまいそうな印象を受けるものでした(^^ゞ
例えば風洞実験などでも!
チーム全体が1人を勝たせるために動くという点にツール・ド・フランスという競技の特殊性はあると思うのです!!
「サーブドスペース」と「サーバントスペース」という言葉があります☆
住宅に当てはめると「サーブドスペース」はリビングなど主要な部分で、「サーバントスペース」は「サーブドスペース」を補助するための収納やトイレなどのことを指します。
建築の「サーブドスペース」と「サーバントスペース」の関係はツール・ド・フランスの「エース」と「チームメイト」の関係と類似しますね(*^_^*)
ルールから建築を生み出す時、「ルールとして扱うモノ」と「建築」の類似性を探していくと突破口が開けることが多々あります!
特にツール・ド・フランスは建築との距離が大きい分、類推を働かせ、上手に両者を結びつけることが出来れば強烈な印象を残すことができるでしょう☆
最後に、マリさん!!
前回、挙がっていたルールの「実」から「ヘチマ」をルールにして来ました!
ヘチマを輪切りにして積み重ねていくスケッチを持参していましたが、「ヘチマ」の良い所を活かしきれていない様な印象(*_*)
上の画像を御覧ください!!
「ヘチマ」が多孔質で、魅力的な建築空間を生み出してくれそうな匂いがプンプンしますね☆
急ですが、ここでちょっとモンドリアンの話をします。
モンドリアンといえば、コレ「赤と黄と青と黒のコンポジション」があまりにも有名ですが。。。
初期の頃は普通に樹木などを描いていました。
これが、徐々に抽象化されて。。。
抽象化されほとんど、直線と曲線だけで表現されていますがどことなく、元が「樹木」であったことが読み取れますね^ ^
「抽象化」とは、その世界にある本質だけを取り出し、他をすべて捨て去る作業ともいえます。そこで始めて、最初の世界が純粋に見えてくることがある、ということです。
このように「ヘチマ」も抽象化を行って建築に落としこんでくれることを期待します!!
【建築論】
「自然」とは何か?
「芸術は自然を模倣しない、自然が芸術を模倣する」(オスカー=ワイルド)
という言葉があります。
初めてこの言葉を聞いた皆さんは「えっ?あべこべじゃない??」と思いますよね!?
これから前田紀貞建築塾では、こうした「対極」「反対」「矛盾」に込められた素朴な疑問を解決していきます☆
例えば、「ひまわり」を描いて下さいと言われるとどんな絵を描きますか??
もかして、こんな感じではないでしょうか?
我々は長期間の学校等の教育の中で、このようなイメージが頭にこびりついてしまっています(-_-;)
ここで、ゴッホの「ひまわり」を見て見ましょう。
先程のポンチ絵のようなイラストとは程遠い、強烈に生々しい「ひまわり」の姿がここにはあります☆
執拗なまでに絵の具を塗り重ねられて、描かれたこの「ひまわり」を見ているとゴッホの狂気をひしひしと感じるのです。
そして、このゴッホの「ひまわり」を見た人たちは、改めて「ひまわり」そのものの生々しさを再認識、というかそこで始めて人はひまわりという「自然」に出会うことができるのです。
つまり、「芸術は自然を模倣しない、自然が芸術を模倣する」という言葉は「自然とは元からどこにでもある」ものではなく、「創造者自らが働きかけ事後的に見出されるもの」であるという視点を我々に投げかけているのですヽ(=´▽`=)ノ
建築家にとって、「自然」とはそうした所与のものとしてではなく、「建築家自ら創りあげるもの」として考えられなければならない、ということを意味します。
つまり、庭に植える植物も、窓から見える空も、心地良く入ってくる風も、どれもそうした自然とは、最初からあるもの(記号)ではなくて、建築家自らが「どのようにそれを見せようか、感じさせようか?」という思惑があって始めて、その建築の中で見えてくるもの、ということです。
前田紀貞アトリエ 松下健太